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日本ライフル射撃協会と大田区、大森射的場跡に残る過去とこれから

日本でも行われているスポーツ競技の一つにライフル射撃がある。
考えてみれば、やぶさめや弓道といった、多くのスポーツと並び、射撃は古くから日本の文化と関わりがあるのかもしれない。
一般的に野蛮な武器と思われがちなライフルであるが、小さな的にめがけ弾を撃つことを競うこの競技は、スポーツマンシップに乗っ取ることでそれを楽しむことができるようになるのだ。
さて、大田区の山王、池上通りを暗闇坂から上がっていく先の小道に日本帝国小銃射的協会跡碑がある。
住宅地の中にポツリと佇むその石碑には、そのロマンが隠されているように感じる。
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スティッキーズ内 日本帝国小銃射的協会跡碑リンク
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日本帝国小銃射的協会と大田区
日本帝国小銃射的協会の後継、日本ライフル射撃協会のHPによると日本の射撃のはじまりは明治13年「日本帝国小銃射的協会」の設立とされている。
射撃競技としてスポーツに至るには大正13 年までの日月がかかったと言われ、文部省より社団法人の認可が降りるには昭和46年までの時がかかった。
現在でこそオリンピック委員会や日本体育協会、国際射撃連合に名を連ねるようになったが、その何代にも続く長い年月は、小銃射的がその競技として認められることの難しさを表しているとも言える。
「この法人は,ライフル射撃界を統轄し、代表する団体としてライフル射撃競技の普及および振興を図り、もって広く国民の間にフェアプレイの精神と質実剛健の気風を涵養することを目的とする。」
という定款にもその意思を感じることができるように思える。
日本ライフル射撃協会の前身である日本帝国小銃射的協会は明治21年に大森の山王に射的場とともに移転してきた。
それまでは東京共同射的會社として皇宮地附属地の東京共同射的會社射的場があり、明治天皇の行幸が行われ、軍関係者や上流階級の射的会が行われていたという。
大田区射撃競技の現在
日本帝国小銃射的協会の歴史は、日本ライフル射撃協会の心として、現在、この大田区にも残っている。
大田区民スポーツまつりでは毎年「体力づくりや健康づくり、地域住民相互のふれあいの機会」として体育の日に区内各所(全47会場)でスポーツの体験会が行われている。
その中に糀谷羽田地区会場ではビームライフル射撃体験を行っているという。
ビームライフル射撃は、弾の代わりに光線を発射するため、室内でも危険なく行えるスポーツの一つとして親しまれているという。
また、日本ライフル射撃協会が協力し係員が丁寧にレクチャーをしてくれるという。
形や時代が変わっていくなか、人の命を奪う道具としても使われてしまった痛みをスポーツとして昇華させていく人々の心を、散歩道などでふと見ることの出来る「日本帝国小銃射的協会跡碑」はひっそりと見守っているのかもしれない。