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近代土木遺産リストにも掲載される、六郷水門の美々

スティッキーズ編集部
■ Writer | スティッキーズ編集部
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雑色駅を出ると、水路の匂いが郷愁を心の奥から滲み出される。遠い昔に忘れていた子供の頃の気持ちが喉元から溢れ出るようにも感じる。
この雑色駅のある地はもともと多摩川に注ぐ水路がいくつもあったのだという。
都市開発により街も水路もその姿を変え、街は賑わい、水路は地下へと潜っていった。雑色駅前商店街を多摩川側へ歩いていくと水門通り商店街に行き当たる。この通りはその水路の通り沿いに栄えた商店街であり、昔ながらの商店や、奥には住宅が数多く身を寄せている。
 
■幻の六郷用水六郷水門
 
水門通りを通っていた用水路は、かつて六郷用水と呼ばれていた。
1597年に開通されたこの水路は多摩川を水源に、狛江市から世田谷区を通り大田区を通り抜ける23kmに及ぶ用水路であった。
流れる水は農業を主に利用され、その利用範囲は1500haほどになると言われている。
1945年ごろ、水路が廃止され、街の宅地化は速度を上げる。1970年代頃にはこの六郷用水は大半が埋め立てられ、残りも下水道に姿を変えていった。
現在では、この流路を見ることができないため、幻の六郷用水とも呼ばれている。
 
★TIPS:六郷用水の再現水路
中原街道から東、多摩川線の多摩川駅から鵜の木駅付近には湧き水を利用した用水が再現されている。当時の用水路の心を見るためにはこの場所も一見の価値があるといえる。
 
多摩川を水源とする、ということから以前の多摩川治水記念碑記事を思い浮かばれる。
 
 
六郷用水と多摩川が交差する場には治水の中で誕生した六郷水門に行き当たるのだ。
1931年に竣工したこの水門は六郷用水の末流としてだけではなく、池上・矢口・羽田一部の地域からの生活用水の排水を処理するために利用されていた。
 
六郷水門、その建築美
 
六郷町の町章をあしらった架橋は水門と舟溜りを隔てている。堤内の舟溜りには現在も緊急時の船が停船されており、雑色運河とも呼ばれたこの場所の時代を現代にも残している。
時代背景からも考えられる、レンガとコンクリートで作られたこの水門は大正末期から昭和初期のロマンあふれる建築のように思われる。
80年以上の年月を経てできたその深い味わいは、都市風景の中にあまりにも自然に溶け込んでいた。
水門付近の多摩川堤防は夜になると、川崎側の街や羽田方面の大師橋の美しい景色を眺めることもできる
堤防を雑色の街側に見下ろすと排水機場を見下ろすことが出来る。
この場所は現役最古の排水機場で、六郷水門の建築のあしらいが、この排水機場にも残されている。六郷水門にも利用されている金森式鉄筋煉瓦の朱と屋根の青がレトロなコントラストを際立たせる。
治水事業の中のこだわりがそこかしこに隠されているのだ。
 
★TIPS:金森式鉄筋煉瓦
鉄筋煉瓦造。丸鋼の鉄筋にコンクリートとレンガで補強された構造法。この構造法は多摩川改修事務所の所長でもあった金森誠之氏により考案された。
そして、この構造法を発明した金森誠之氏はスティッキーズでもインタビューをさせていただいた金森誠也氏の父にあたる。
 
金森誠也氏のインタビュー記事はこちらから
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■南六郷緑地公園に残る、前世紀
 
水門通りへ戻る途中に、南六郷緑地公園へと行き当たる。
水門通りからこちらへ流れてくると通ることになるのだが、この公園はぜひ六郷水門を鑑賞した後に楽しむことをおすすめしたい。
六郷用水の排水口であった場所を親水公園化したこの場所は人口運河を模した創りを成されている。
人口運河水路の起点には水門を模した滝が作られており、多摩川堤防のようなレンガ道が続いている。レンガ道を歩いていくと池に行き着く、その池のデッキを模した休憩所には六郷水門橋のあしらいを踏襲した創りを見ることができる。
この休憩所自体も金森式鉄筋煉瓦のような作りになっているため、排水機場を模していると思われる。
六郷水門の直ぐ側にある南六郷緑地公園、ある意味この公園自体が六郷水門の記念碑として今も息づいているのだ。
前世紀に作られ、現在も人々を見守る時代を越えたこの水門を現在もこの場所から眺めることが出来るのは、ある意味での奇跡に違いない。
時の流れで消えていくもの、過去の遺物を復興させるもの、この場所の郷愁感は幾つもの人のロマンとドラマが創り、映し出しているのかもしれない。
スティッキーズ編集部
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スティッキーズ編集部