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初夏の木漏れ日に過ごす洗足池に映る人々の営み
初夏の日差しに誘われるように、私は区内散策に繰り出していた。JRを乗り換え東急池上線蒲田駅から15分ほど私鉄に身を委ねると、洗足池にたどり着く。
弱冷房のきいた車両から外に出ると、頬を抜ける緩やかな風と緑の匂いが鼻をかすめた。
駅前に広がる緑の景色の穏やか
洗足池駅を降りると、カフェやラーメン屋などの並びに面し、中原街道が通じている。
大田区の動脈のひとつでもあるこの車通りの多い道だが、意外にも都心のような埃っぽさを感じない。その答えはおそらく、中原街道の向こうに広がる洗足池の緑の景色によるものなのだろう。
カフェの窓際ではファミリーがランチを過ごし、洗足池の方を向き笑顔で語らっている姿が見えた。都内を走る自動車の生活と、休日を過ごす家族の生活が絶妙にリンクしているこの穏やかさが、すでに駅前で広がっていた。
池月橋から望む千束八幡神社という非現実
ヤナギやツツジが緑を彩る中原街道面の通りは、レンタルボートを借りるためのカップルやファミリーで賑わう。
談笑の中を洗足池の外周を沿うように西へ回る。
木漏れ日の下、通り沿いのベンチでは老夫婦が会話に花を咲かせていた。
洗足池の周辺は閑静な住宅街になっている。古くから存在しているであろう邸宅から新築の一軒家、アパートなどさまざまな生活が同居している。
池の外側に感じる人々の生活を思いながら歩を進めると、「池月橋」と名付けられた太鼓橋にたどり着く。
木々のフレームから当然のように現れるその景色はつかの間の非現実へといざなってくれる。
景観を第一に、とつくられたこの橋は2016年に架替工事が完了したのだが、この景色の中ではその真新しさを主張しすぎない。
陽の光を浴びた水面がキラキラと光を放ち、池月橋を優雅に照らす。更に奥には千束八幡神社の赤い鳥居が、はっと息を呑むような日本の風景を凛と締めていた。
もうすっかり馴染んでしまった緑の匂いのなか、すべての音を吸収するように千束八幡神社は静かに佇んでいる。
860年、旧千束郷の総鎮守として創建されたといわれるこの神社の静寂は確かにこの空間を見守っているような落ち着きを見せていた。
厳島神社を抜ける緑道でおこる人々の交流
束八幡神社を抜けた先に池に沿って開けた道がある。
この道は、洗足池駅付近の都心的なビル街と公園の緑が重なり、先ほどとは違う景色が目を楽しませてくれている。
のろのろと歩を進める私の横を、ランニング中のランナーが駆け抜けていった。洗足池を訪れるのは私のような散歩客や、ファミリー、カップルだけではないようだ。
確かにこの場所は道も広く平坦であるため、走るには都合がいい道と思われる。
この景色の中を走るのは体だけではなく、心を清め鍛えてくれるようだった。互いに邪魔にならない程度の気配りが嬉しく感じる。言葉はかわさなくとも、人々の交流がそこにあるのだ。
数名のランナーと気を配り合いながら歩いていくと厳島神社がある。
池北側の創建年代不明の神社が、永いときの中で埋没してしまったため1934年に現在の地に造営されたと言われている。
その建築の朱は緑の中に美しく映っていた。
小島に渡る途中、朱く美しい太鼓橋がある。何気なく橋を渡っていると、下から呼び声が届いてきた。ボートに乗ったファミリーの、小さな男の子がこちらに笑顔で手を振っていた。
その楽しそうな笑顔に思わずこちらも笑顔になる。生活の中ではなかなか味わえない自然な挨拶がここにあるようで、昔から変わらない大切なもののようでもあった。
過去現在未来、時代にとらわれないスタイルが集まる生活の場
緑道をこえると開けた公園と2017年より舗装がされた中原街道へ通じる新道が目に入ってきた。
公園の木漏れ日の下ではファミリーがレジャーシートの上で楽しげにピクニックランチをとっている。その付近では趣味の会がカメラを持ち寄り撮影を楽しんでいた。
この場所に訪れるさまざまな人々が年齢にとらわれない楽しみ方を過ごしている。ふと思えば、思いつきでこの地を訪れた私もそんな人々のひとりだった。
他人、自分にかかわらず多くの思いをのせ、生活が集い、大切な時間がゆっくりと流れていく場所としてこの先も人々のつながりが積み重なっていくのだろう。