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都内唯一の浅間造、多摩川浅間神社と木花咲耶姫命

2018/05/28
スティッキーズ編集部
■ Writer | スティッキーズ編集部
店舗イメージ

中原街道の道中、丸子橋を渡る直前に、多摩川の堤防がはしっている。


この堤防を多摩川駅方面に登っていくと、川とは反対の堤防に緑豊かな場所がある。

その中へ入っていくと赤紅と浅葱色が光に照らされ美しく輝く浅間造の神社へ行き着くことが出来る。
ここが都内で唯一、浅間造を施した神社、多摩川浅間神社だ。

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スティッキーズ内 多摩川浅間神社駅リンク
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夫を思う心が時を越えた由緒

多摩川浅間神社は800年ほどの昔(1185年頃)に創建されたと言われている。当時の右大将源頼朝が出陣した際に、北条政子は夫の身を案じ後を追いました。
しかし、わらじの傷が痛みだし多摩川にて傷の治療をすることにした。滞在中、亀甲山(現在の亀甲山古墳)へ登るとそこからは富士山がとても鮮やかに見えたという。
富士に自分の守り本尊である浅間神社があった政子は、その浅間神社に向かい手を合わせ、夫の武運を祈ったという。
そのとき、身に付けていた正観世音像を建てたことにより、村人たちはこの像を「富士浅間大菩薩」と呼び祀ったと言われ、この出来事が多摩川浅間神社の由緒と言われている。
時が流れ1652年5月、神社表坂の土留め工事を行っていた際、正観世音像が発見されたという。
多摩川で泥を洗い落としてみると、片足がなかったことがわかり、足を鋳造し、神社に祀り神事を行ったという。このことから多摩川浅間神社の礼祭は6月に行われるようになったという。

★TIPS:正観世音像(聖観音菩薩像)
仏像の中で最も多いと言われている聖観音像。
中国では5世紀頃に観音菩薩像が造られるようになり、6世紀に朝鮮を経て仏教が日本に伝えられると、密教が盛んになる8世紀には聖観音とともに幾つもの観音像が盛んに造られた。
仏像の中では、菩薩と名付けられたものは如来に次いで高位に位置すると言われており、人々を悟りへの導きとして手助けするという。

 

三社一体の鎮守と浅間信仰

明治40年まで、この地域には浅間、赤城、熊野の三つの神社があったという、一村に一神社という合祀のための政令がくだされると、村人たちは話し合い、浅間神社が新しい村の
鎮守となった。
そのことからこの神社には3種の社紋があり、それぞれに祭神がいることとなっている。
左三つ巴は赤城神社の伊耶那岐命と菊理姫命を、八咫の烏(やたのからす)は伊耶那美命と速玉乃男命、事解乃男命を祀っているといい、浅間神社の祭神は木花咲耶姫命となっている。
かつては浅間神と呼ばれていた木花咲耶姫命の鎮まる霊峰富士に、「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」を唱えながら登拝し、その山容に似た雄大なご神徳を仰ぐ、このことから浅間信仰は富士信仰とも呼ばれ、富士山にその起源がある。
日本一と呼ばれ、太古、この多摩川亀甲山古墳からも見えたというその美しい山容から女神と見る信仰が生まれたのだ。
信仰は起源とされる富士山本宮浅間大社にとどまらず、この遠い大田区にも伝わっていた。


富士講と呼ばれる信仰の団体は境内の中に食行身録の石碑を残している。石段の途中に見える、その石碑はかの勝海舟の直筆を刻まれているという。

木花咲耶姫命と桜香る多摩川

多摩川浅間神社は木花咲耶姫命を祭神としている、この神様は山嶽を守る神、大山祇神の姫であり、天照大神の孫、瓊瓊杵命の妻とされ、桜の花が咲き、匂うような美しい女神とも呼ばれている。
この多摩川浅間神社は多摩川亀甲山古墳にあるように、高台になっている。
社務所はその中でもかなり高所に位置していて結婚式をはじめ趣味の会、地域懇談会などに利用できる“おもてなしの場”を用意している。その眺望は美しく、多摩川堤から電車の行き交う町並みを、快晴の日には遠く現在も富士山を望むことが出来る。
多摩川が春には美しい桜を咲き誇らせる景色は、日本一の山と、木花咲耶姫命の御わすこの神社に見守られた事による縁が生み出したご利益なのかもしれない。

スティッキーズ編集部
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スティッキーズ編集部