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太陽神の住まう場所 ~天照大御神を祀る八景天祖神社~

2018/02/04
スティッキーズ編集部
■ Writer | スティッキーズ編集部
店舗イメージ

JR大森駅を西口に降りるとすぐに木々を青々と実らせている石段が出迎えてくれる。
東京の駅の中でこのように唐突に現れるレトロは別段珍しくはないが、この階段は八景天祖神社と言われる神社へと続いている。

この神社は享保の時代(1716年〜1735年ごろ)に大森の庄屋や年寄、百姓らが伊勢講を組織すると、皇大神宮で御分霊を受け祭祀したのが創建と伝わっている。

■駅前に広がる和風ファンタジー

大森駅の階段を下ったときに見えるこの景色を大田区に住む皆様はご存知かもしれない。
この神社は周りの住宅やビル群の中に忽然と姿を表しているのだ。
狭い石段を踏みしめていくと天祖神社の命名石碑を見ることが出来る。狭く長い石段を登っていく途中には江戸より残ると言われている稲荷石社が今もそこに佇んでいる。
この雑木林の中にあるような神社は間違いなく都市の駅前に存在している。


まるで外の世界と隔絶したようなその和の風景の中石畳を登っていくと、境内にたどり着く。
無人神社であっても手入れは行き届いており、手水舎は空ではあるがその姿はきれいにとどまっている。
とても駅を降りて数分も立たない位置にこのような場所があるとは、この場を見たことがない人々には少し想像がつかないのかもしれない。

■八景坂と神明山

さらにこの神社には少々不思議な事がある。
境内と拝殿前に掲示されている由緒の社号が異なっているのだ。
「神明山天祖神社」そして「八景天祖神社」この場所にはこの2つの名称が混在している。神明山というのはこの神社がおわす小山の名前になるのだが、八景坂というものは社前の坂道を指していると思われる。
この坂は坂上から展望すると房総半島までを眺望できたと言われており、大田区に縁の深い歌川広重の「名所江戸百景」にも描かれている。


この坂は八景を眺めることが可能と言われていた所以からこの坂の名前を取っているようだ。
たしかに今現在も、アトレがあるため、海側を臨むのは厳しいが、左右に伸びた池上通りの奥の方までを望むことが出来るのは、八景坂の現代の名残とも言えるのかもしれない。
この神社における社宝でもある「義家鎧かけの松」は現在賽銭箱の横に鎮座されているがかつては社殿の脇に生えていたと言われており、「後三年の役」にて松に馬を繋いでいた義家が鎧をかけて休憩したと言われる松の切り株だ。
平安の時代から残ると思われるこの切り株も、現代に残るその姿はこの場所の非現実感を際立たせる。

■御朱印状がなくなれど、現代も訪れる多くの参拝者

この神社では平成25年頃から御朱印の対応をしていないようではあるが、平日においても駅前という性質からか、多くの参拝者が訪れる。
ボーイスカウトの少年少女たちや、近隣の住民の清掃活動もあり、きれいに保たれた境内ならばこそ、多くの参拝者を受け入れることの出来るようになっているのだ。
参考文献が時代の流れや、空襲を経てほぼ残っていないこのような神社も、今も信仰を失うことなく大田区には数多く存在している。

スティッキーズ編集部
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