夕闇の中の黄金郷、大田区中央春日神社の昼の顔、夜の顔

大森駅西口より退場し、八景坂を池上方面へと下っていく。
池上通りの喧騒を横目に、直進すると約15分程度で環七通り春日橋へ行き着くことが出来る
南東京の大動脈、環七の大きな交差点を渡り、一つ目の小道を右へ至ると春日通り、春日神社へたどり着く。
この春日神社は、人通りの多い環七と、住宅街にほと近い場所にあることからか、神社は小高い塀に囲まれている。
しかし、淡黄蘗と青竹色のこの塀の向こう側に、黄金郷は確かに存在する。
 
 

■学問と武道の三柱神と春日神社

 
春日神社は全国にも多く存在するが、その総本社は奈良の春日大社で、春日神は神道の神にあたり、春日権現とも称されている。
大田区の春日神社では建御賀豆智神・伊波比主神・天児屋根命・比売神の四柱神のうち建御賀豆智神(たけみかづちのかみ)・伊波比主神(いわいぬしのかみ)・天児屋根神(あめのこやねのかみ)を祀っている。
記録が残っておらず、正確な年代は不詳であるが、この春日神社の由緒は鎌倉時代に遡り、奈良の春日大社より、大田区春日神社へ神々を迎えたことが創建と言われている。その後、昭和13年に本殿を建設し約700年もの間この地で多くの人々を見守るよう現在の形になったという。
 
★TIPS:大田区春日神社の三柱神
 
建御賀豆智神は雷神、かつ剣の神とされ、相撲の元祖たる神とも呼ばれている。
伊波比主神は建御賀豆智神とゆかり深く、剣の神であり、人々を奮い起こす神であると言われている。
天児屋根神は祝詞の神、出世の神と言われており、天照大神の岩戸隠れの際、その前で祝詞を唱え、天照大神が岩戸を少し開いたときに太玉命とともに鏡を差し出したという逸話がある。
この三柱神は武芸・学問・出世の神であり、人々は必勝祈願や就労祈願に参拝することが多い。
 

■昼ーーー天色と孔雀緑の聖域

 
門をくぐり、鳥居を抜けると、外の住宅街や車通りが嘘のように大田区春日神社の境内は静かにそこにある。
大木から伸びる一筋の参拝道は当然のようにその姿をありありと映し出す。手水舎には荘厳な龍の細工がされており、この神社の格式を保っているのだ。
快晴の日に赴いたこともあってか、この神社の中は天が空色と言うにより青く、木々の緑の向こう側で孔雀緑の本殿の屋根が輝いている。そのコントラストはとても美しく、かの春日大社の片鱗を目で、肌で味わうことが出来るのだ。
春日神社のほと近い場所には集合住宅もあり、中には公園が建てられている。公園で遊んでいた親子が帰り道に参拝に訪れる景色も多いこの場所は、現代の中にも確かにその神聖さを描き出している。
 

■夜ーーー夕闇と黄金の聖域

 
さて、冒頭で黄金郷はたしかにあったという一文を書いたが、これはまさしくその通りであり、この神社は昼の顔と夜の顔を、一日の中で大きく変える。本殿の戸が閉められ、灯籠の明かりが色づき始めると、この神社の数々の細工が、美しい黄金色に輝き出すのだ。
境内の中は神聖な光りに包まれている。
寺社は夜間、恐怖談などの舞台にもなりやすく、幾つかの怪しさを作り出すことも珍しくはないが、この神社は間逆であり、夜にこそその荘厳さが際立ち始める。門戸に施された社紋は灯籠の光を浴び色濃くその力を放ち、境内に光を照らす。
日本画の多くにも美しく描かれる黒と金の配色が現実としてこの目の中に飛び込むさまは、一度自分の目で確かめてみることを強くおすすめする。
 

■神々のいる場所、そして都市の中で生きる人々

 
都市の神社にも珍しくはないのだが、この神社は非常にアナログさを保っている。
祈願の申込みは電話を推奨し、授与品はこの神社の中でしか購入ができない。
これも「一年神に守護を得たら、感謝の気持ちを込め、神社へ返すことが大切」と考えるこの神域の心だからこそ出来ることなのだろう。
何度も言うがこの春日神社は住宅街の真っ只中に存在する。池上通りはバスが走り車が行き交う、春日通りには通勤のサラリーマンや学生、日々を忙しく生きる人々がこの神社の横をすり抜けていく。
幾つもの時代が重なり、遠い700年というときを経てなお、この場所に佇むこの黄金郷は、それでもなお人々を見守り続けているのだ。
当然に存在すること、それ自体が非日常であり、必然であるかのように大田区春日神社は今もこの地にあり続けている。